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ロッド空港で無差別テロを引き起こした赤軍派のFラン大学 - そこそこイケメンでスカの不倫疑惑男
2025/05/22 (Thu) 06:06:02
《対外公表版》
>【詳しく】江藤農相が辞表提出 後任に小泉進次郎を起用
2025年5月21日(水) 19時12分 NHK
(一部加筆修正)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250521/k10014811531000.html
>江藤農林水産大臣は「コメは買ったことがない」などと発言した責任を取りたいとして、石破総理大臣に辞表を提出しました。
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〓言語道断! 1972年5月にロッド空港(イスラエル)で無差別テロを行った赤軍派が旗揚げした神奈川のFラン大学を出た、朝鮮ゴロツキの稲川会 丸抱えのスカの不倫疑惑男、小泉進次郎 如きを抜擢する“鳥取の田舎っペ慶応ボーイ”、石破茂!
〓慶応の女子学生をレイプして海外逃亡し、女芸者絞殺疑惑もある小泉純一郎の息子で そこそこイケメンのスカの不倫疑惑男、小泉進次郎 如きを入閣させるとか、石破茂は2025年参院選で自民党を自爆させたいのか?
〓小泉進次郎 程度のイケメンなら、創業者が朝鮮戦争に従軍したLA生まれの元米軍人である親米ジャニーズ事務所OBの中に幾らでもゴロゴロしてるだろ。
〓何故あえてアメリカ政府から資産凍結、取引禁止処分を食らっている六代目山口組と友好関係にあるスカの朝鮮ゴロツキ稲川会 丸抱えで、1972年5月にイスラエル・ロッド空港で無差別テロを行った赤軍派が旗揚げした神奈川のFラン大学出の不倫疑惑男を2025年参院選の顔に据えようとするのか?
〓“自爆行為”と言っても過言ではない。
出鱈目『量的緩和』の責任を回避し逃げ回る福井俊彦の背後関係? - 出鱈目『量的金融緩和』
2025/05/21 (Wed) 18:59:40
>2012年2月23日、アメリカ財務省は、司忍を国外の著しい犯罪組織とその支持者であると認定し、国際緊急経済権限法・大統領令13581号に基づき、アメリカ合衆国の司法権の及ぶ範囲の資産凍結、米国民との取引を禁止する対象とした[17]。
〓神戸山口組と六代目山口組の主導権争いは、アメリカ政府から資産凍結、取引禁止処分を食らっている司忍が勝っちまったのかあ…
〓神戸山口組との主導権争いが終了して特定抗争指定暴力団の指定が解除されると、価格破壊の小泉構造改革や福井俊彦の出鱈目『量的金融緩和』の頃みたいに司忍の六代目山口組の活動範囲の自由度が増してしまうよな。
〓神戸山口組と六代目山口組、どっちもどっちなんだけどさあ、わざわざアメリカ政府から資産凍結、取引禁止処分を食らっている司忍の六代目山口組の方が勝ち残るのを傍観してた国家公安委員会って どういう考えしてんのかね?
〓おい岸田文雄!石破茂! ちゃんと国民に説明せよ。
〓おまえら敢えてアメリカ政府が嫌う方(司忍の六代目山口組)を残したのか?
日本のヤクザを公開いたします(笑) - ワールドニュース URL
2025/05/19 (Mon) 10:04:43
こんにちは。
はじめましてどうかよろしくお願いいたします。
日本のヤクザ
力元親分の写真です!?
https://masatomo555.bbs.2nt.com/?act=reply&tid=11924130
https://jmadj5468.bbs.2nt.com/?act=reply&tid=8315095
短編小説『春を告げる声 済州島にて』 - 済州島4・3事件
2025/05/03 (Sat) 19:15:09
## 短編小説『春を告げる声 済州島にて』
エメラルドグリーンの海と、どこまでも広がる柑橘畑の香りが、ソヨン、ジウ、ソヒョンの頬を優しく撫でた。
祖父母の故郷、済州島。
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温暖で風光明媚なこの地で、三人は言葉少なに風景を眺めていた。
77年前、この穏やかな島で、想像を絶するような惨劇が繰り広げられ、自分たちの祖父母が命からがら海を渡り、異国で生き延びたという事実が、まるで遠い日の悪夢のように、彼女たちの胸に重くのしかかっていた。
宿に戻り、何気なくスマホを開いたソヨンは、眉をひそめた。
K-POPガールズグループの日本人メンバーが、「韓国は三・一節が祝日で羨ましい」と発言したことが、韓国中で大きなバッシングを呼んでいた。
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1910年から日本の植民地となった朝鮮半島。
1919年に勃発した三・一運動は、第一次世界大戦後のパリ講和会議でアメリカのウィルソン大統領が提唱した民族自決主義に触発され、朝鮮半島全域で燃え上がった最初の大規模な独立運動だった。
「『独立』か…」ジウが呟いた。
その言葉は、三人の間に複雑な感情を呼び起こした。
日本統治時代の済州島で、彼女たちの祖父母たちは、確かに贅沢とは無縁だったかもしれないが、少なくとも平和で穏やかな日々を送っていたという。
学校に通い、畑を耕し、隣人たちと助け合いながら、ささやかな幸せを育んでいた。
短編小説『春を告げる声 済州島にて』 - 済州島4・3事件
2025/05/03 (Sat) 19:22:52
しかし、日本人が引き揚げ、上海で大韓民国臨時政府を樹立していた李承晩がソウルに乗り込んできた時から、島の空気は一変した。
1948年8月の大韓民国樹立宣言を前に、李承晩は、社会主義者の朴憲永が率いる南労党の粛清を強行した。
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李承晩の一派は、南労党の残党を追い、済州島にまで押し寄せてきた。
そこで、南労党に協力したと疑われた島民たちは、有無を言わさず家を焼かれ、若い女性たちは兵士たちに凌辱され、家族の目の前で殺害された。
李承晩の一派は、「疑わしきは厳罰に処す」という名の元に、無辜の島民を次々と血祭りに上げていったのだ。
ソヨン、ジウ、ソヒョンの祖父母たちは、まさに地獄絵図のような光景を目の当たりにし、一刻も早くこの島から逃れなければ、自分たちの命も危ないと感じた。
日本に密航した時点で、彼らが南労党の協力者でなかったことは明白だった。ただ、故郷を追われた人々だった。
大阪の鶴橋に小さな部屋を借り、密航者であることが露見せぬよう、息を殺すようにひっそりと暮らした。
文化も違う異国で、いつ見つかるか分からない不安に怯えながら、それでも生き延びるしかなかった。
それから間もなく、1948年8月、ソウルでは盛大な大韓民国樹立式典が催され、李承晩が初代大統領に就任した。三人の祖父母にとって、これが「民族独立」の全てだった。
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自分たちを故郷から追いやり、多くの人々を虐殺した人物が、新しい国の指導者として祭り上げられる。
その現実は、彼女たちにとって到底受け入れられるものではなかった。
「民族自決」。「植民地独立」。聞こえは美しいが、済州島民にとってのそれは、国粋主義、ファシズム、ナチズム、排外主義、そして軍事独裁主義と表裏一体の、まさに邪悪なイデオロギーだった。
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日本の植民地だった頃の、あの穏やかで平和な暮らしを取り戻したい。その一念で、彼女たちの祖父母たちは命懸けで日本に密航したのだ。
短編小説『春を告げる声 済州島にて』 - 済州島4・3事件
2025/05/03 (Sat) 19:39:51
一部の国粋主義者、排外主義者は創氏改名を強制され、日本語教育を押し付けられたことが我慢できなかった。
しかし済州島四・三事件当時、そして、韓国独立から77年の間、三・一運動の愛国者たちは、祖国に裏切られ、虐げられた自分たちの祖父母たちのために、一体何をしてくれたのだろうか?
民族自決や独立運動に人生を賭けるくらいなら、法の支配や自由主義ブルジョア憲法の行き届いた異郷で暮らす方が、遥かに幸せではないか。
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三人は、この島を歩き、虐殺の痕跡が今も残る風景を目の当たりにするほどに、その思いを強くしていた。
「私たちは、ヘリテージ財団で話しました」と、ジウが静かに言った。「日本の植民地支配を、一方的に悪だと決めつけるのは違うと。当時の国際情勢や、朝鮮半島内部の状況も踏まえて考える必要があると。」
ソヨンが頷いた。「多くの聴衆が、私たちの言葉に耳を傾けてくれた。でも、韓国の国粋主義者や、排外主義者からの猛反発は避けられないでしょうね。」
チェ・ソヒョンは、遠い目をしながら海を見つめた。「それでも、祖父母たちが味わった塗炭の苦しみを思えば、私たちは黙っているわけにはいかない。あの虐殺は、単なる過去の出来事ではない。私たちの血の中に、深く刻まれた傷跡なんだから。」
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三人は、夕暮れの海岸線を歩いた。波の音が、彼女たちの心のざわめきを鎮めるように響いていた。明日、彼女たちはソウルに戻り、済州島四・三事件の補償を求める裁判を続ける。その道のりは決して平坦ではないだろう。韓国社会には、根強い民族主義の感情が存在し、彼女たちの主張は、多くの人々の反感を招く可能性もある。
しかし、彼女たちの胸には、ヘリテージ財団での講演で感じた、かすかな希望の光が灯っていた。
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自分たちの声に耳を傾け、共感してくれる人々が、確かに存在することを知ったからだ。
そして、何よりも、祖父母たちの無念を晴らし、真実を未来に伝えたいという強い思いが、彼女たちの背中を押していた。
宿に戻った三人は、改めて言葉を交わした。
「私たちは、『在日』として生きてきた。常に、二つの祖国の間で揺れ動きながら」と、ソヨンが言った。
「でも、済州島に来て、祖父母の生きた土地に触れて、改めて思った。私たちにとっての『民族』とは何なのだろうか。『民族自決』とは、一体誰のためのものなのだろうか。」
ジウが答えた。「李承晩のような独裁者のための『民族自決』ならば、そんなものは必要ない。大切なのは、個人の尊厳が守られ、自由と平和が保障される社会。それが、私たちの祖父母が求めていたものだったはずだ。」
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ソヒョンは、静かに頷いた。「私たちは、韓国の国粋主義者たちに、敢えて問いかけたい。あなたたちの言う『愛国』とは、一体何なのかと。自国民を虐殺し、異質なものを排除しようとする排外主義と、どこが違うのかと。」
三人は、夜遅くまで語り合った。彼女たちの言葉は、77年前の済州島の悲劇を、単なる過去の出来事としてではなく、現代を生きる自分たちの問題として捉えようとする、真摯な問いかけだった。
翌朝、三人は、朝日が照らす済州島の海を眺めていた。穏やかな波の音は、まるで島に眠る犠牲者たちの鎮魂歌のようだった。
彼女たちの心には、ワシントンで感じた希望と、この島で改めて抱いた決意が、静かに共存していた。
彼女たちの声は、小さな波かもしれない。しかし、その波紋は、やがて大きなうねりとなり、韓国社会の根深い民族主義の壁を揺るがすかもしれない。
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彼女たちの勇気ある行動は、虐げられた人々の魂に、遅すぎた春を告げる声となるだろう。
短編小説『春を告げる声 ヘリテージ財団にて』 - 済州島4・3事件
2025/05/02 (Fri) 21:26:01
## 短編小説『春を告げる声 ヘリテージ財団にて』
ワシントンDCのヘリテージ財団の大会議室は、熱気に満ちていた。壇上には、緊張と興奮の入り混じった表情の三人の若い女性が並んでいる。イ・ソヨン、チョン・ジウ、チェ・ソヒョン。いずれも在日韓国人三世の大学院生だ。彼女たちが今、世界に向けて発信しようとしている言葉は、長らく日本の在日社会でタブーとされてきた歴史認識に、新たな光を当てるものだった。
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ソヨンがゆっくりと口を開いた。「私たちの祖父母の世代は、1948年4月3日に起こった済州島四・三事件の混乱の中、祖国を離れざるを得ませんでした。南労党に協力したと疑われた人々は、疑わしきを厳罰に処す李承晩政権による激しい弾圧から逃れるため、多くの危険を冒して日本へと密航したと伝えられています。私たち三人は、その歴史の傷跡を深く胸に刻みながら生きてきました。」
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ジウが言葉を引き継いだ。「私たちは、長年、済州島四・三事件の真相究明と、犠牲者の方々への正当な補償を求めてきました。その一環として、私たちは韓国政府を相手取り、ソウルで裁判を起こしました。しかし、その過程で、私たちはある疑問に強く突き動かされるようになったのです。なぜ、故郷を追われた済州島の人々は、共産党が支配する中国でも、金日成が率いる北朝鮮でも、国民党が統治する台湾でもなく、かつての宗主国であった日本を目指したのでしょうか。」
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ソヨンの声が、わずかに熱を帯びた。「ヘリテージ財団の招きでこのアメリカの地を訪れ、様々な情報に触れる中で、私たちは気づきました。日本の植民地支配による近代化を、一面的に邪悪な帝国主義と断じるイデオロギーの欺瞞に。李承晩大統領による抑圧という現実を前にした済州島の人々は、本能的に理解していたのではないでしょうか。漢民族至上主義の中華思想に固執する国々では、自分たちの未来はないと。だからこそ、彼らは、かつての宗主国でありながらも、新たな可能性を秘めた日本に、一縷の望みを託したのだと。」
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ジウは、日本の朝鮮半島政策の歴史的経緯について解説を始めた。「日本は当初、福沢諭吉先生の指導を受けた金玉均を中心とする独立党を支援し、1884年の甲申政変クーデターを画策しました。清朝に盲従しようとする事大党を排除し、朝鮮人自身の手による近代国家建設を目指したのです。しかし、クーデターは失敗に終わり、事大党が勢力を盛り返したことで、日本は対朝鮮政策の軌道修正を余儀なくされました。その結果として、朝鮮に対する戦前の植民地支配が、複雑な歴史的経緯を経て実施に移されたのです。」
短編小説『春を告げる声 ヘリテージ財団にて』 - 済州島4・3事件
2025/05/02 (Fri) 21:40:18
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最後に、ソヒョンが静かに、しかし力強く語り始めた。「在日社会の民団も、総連も、そして旧統一協会も、長らく日本の朝鮮半島に対する植民地支配を、一方的に邪悪な帝国主義と断じてきました。私たちも、そのように教えられて育ちました。しかし、もし李氏朝鮮が清朝の属国であり続けたらどうなっていたでしょうか。私たちは、中国共産党による三千万人もの餓死者を出した大躍進政策や、二千万人もの粛清を生んだ文化大革命に巻き込まれていたかもしれません。北朝鮮を見れば、その悲惨な現実を想像することは難しくありません。」
会場は静まり返り、三人の言葉に聴衆は息を呑んでいた。これまで語られることのなかった、在日韓国人三世の世代からの率直な歴史認識の表明は、多くの人々の心を揺さぶった。
ソヨンが、わずかに声を震わせながら続けた。「私たちは、過去の過ちを美化しようとしているのではありません。日本の植民地支配は、朝鮮半島の人々に多大な苦痛を与えた事実は否定できません。しかし、歴史は一面的な解釈だけでは捉えられない複雑なものです。私たちは、祖父母の世代が、なぜ日本を選んだのか、その背景にあった当時の国際情勢や、各国の政治体制、そして何よりも、人々の生きたいという強い願いに、真摯に向き合いたいのです。」
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ジウは、壇上を見渡しながら言った。「私たちは、過去の歴史を直視し、多角的な視点から検証することで、真の和解と未来志向の関係を築きたいと願っています。そのためには、タブーを恐れず、率直な対話が必要です。私たちは、在日社会においても、日本と韓国の間でも、より成熟した議論が交わされることを切に望んでいます。」
ソヒョンは、決意を込めた眼差しで聴衆を見つめた。「私たちの声は、もしかしたら少数派かもしれません。しかし、私たちは信じています。真実は、いつか必ず明らかになると。そして、私たちがこうして声を上げることによって、凍てついた大地に、かすかな春の息吹を届けることができると。」
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彼女たちの言葉が終わると同時に、会場は割れんばかりの大きな拍手に包まれた。インターコンチネンタル・ホテルの重厚な壁が、その熱気に共鳴しているかのようだった。それは、抑圧された歴史認識からの解放を求める、若い世代の力強い叫びだった。
数日後、ワシントンDCの喧騒から離れた静かなカフェで、ソヨン、ジウ、ソヒョンは、ヘリテージ財団での講演の反響について語り合っていた。
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「想像以上の反響だったね」と、ソヨンが感慨深げに言った。「私たちの世代にも、同じように感じていた人がたくさんいたんだと分かった。」
ジウは頷いた。「日本のメディアからの取材も多かったわ。もちろん、批判的な意見もあったけれど、私たちの真意を理解しようとしてくれる人もいた。」
ソヒョンは、少し疲れた表情を見せながらも、どこか晴れやかだった。「民団や総連からも、色々な反応があったみたい。でも、私たちの世代の声は、無視できなくなってきているはずよ。」
三人は、それぞれの胸に去来する様々な思いを感じながら、コーヒーを啜った。彼女たちの行動は、在日社会に小さな波紋を広げ始めていた。長年、語られることのなかった歴史の断片が、彼女たちの勇気ある発言によって、少しずつ日の光を浴び始めている。
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ソヨンは、窓の外のポトマック川の流れを見つめながら言った。「私たちの裁判は、まだ始まったばかり。韓国政府が、私たちの声に耳を傾けてくれるかどうかは分からない。でも、私たちは諦めない。祖父母の世代が、なぜ故郷を捨て、異国の地に根を下ろさざるを得なかったのか。その真実を、私たちは未来の世代に伝えたい。」
ジウは、力強く頷いた。「そして、日本と韓国が、過去の遺恨を乗り越え、真の友好関係を築くためには、お互いの歴史を深く理解し、尊重することが不可欠だと思う。私たちの活動が、その一助となれば嬉しい。」
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ソヒョンは、二人の顔を見渡しながら、柔らかな微笑みを浮かべた。「私たちは、まだ若い。これから、多くの困難に直面するかもしれない。でも、私たちは三人で力を合わせれば、きっと乗り越えられる。凍てついた大地にも、必ず春は訪れると信じているから。」
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ワシントンの春の陽光が、カフェの窓から差し込み、三人の顔を優しく照らした。彼女たちの瞳には、未来への希望と、揺るぎない決意が宿っていた。ヘリテージ財団での彼女たちの声は、確かに、新しい時代の春を告げる、力強い一歩だったのだ。
短編小説『春を告げる声 梨泰院にて』 - 済州島4・3事件と在日韓国人
2025/05/01 (Thu) 02:11:40
AI短編小説『春を告げる声 梨泰院にて』
「私たちの声が、聞こえていますか?」
イ・ソヨンの言葉が、法廷の静寂を破った。
2025年、ソウル中央地方裁判所。在日韓国人3世のイ・ソヨン(李・抒姸)、チョン・ジウ(鄭・志宇)、チェ・ソヒョン(崔・昭賢)は、韓国政府を相手取り済州島4・3事件の補償を求める訴訟を起こしていた。
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彼女たちは韓国で生まれていない。育ったのは大阪、神戸、横浜の片隅。韓国語よりも日本語に慣れ親しみ、学校では「在日」と呼ばれ、時に疎まれながらも、自分たちのルーツに向き合ってきた。
きっかけは一本の古い録音テープだった。
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1年前、大阪・鶴橋の祖母の遺品整理中、ソヨンは埃をかぶったカセットテープを見つけた。テープの中には、まだ幼い自分に語りかける祖母の声。
「済州島では、あの春、たくさんの人が死んだんやよ……赤くもないのに、赤って言われて……逃げるしかなかった……」
祖母は4・3事件の生存者だった。1948年、済州島で発生した左派弾圧による武力鎮圧。南朝鮮労働党に協力したとされる住民たちが、軍や警察によって虐殺された事件だ。
逃げるようにして日本に渡った祖母は、正体を隠し、声を殺して生きた。
ソヨンは、その声を聞いて涙が止まらなかった。
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「私たちは加害者じゃない。なのに、ずっと謝り続けてきたような気がする」
ジウが言った。
「でも、うちのハルモニは被害者や。何もしてないのに、家を焼かれて、兄弟を殺されて、それでも誰にも言えんかった。これは……もう黙っとるべきことやないと思う」
同じような話を、それぞれの家で、三人は聞いていた。
そこで彼女たちは決意した。韓国政府に対し、事件に関わる在日被害者の存在を認めさせ、正式な謝罪と補償を求める訴訟を起こすのだと。
誰もが「無理だ」と言った。4・3事件は長らく「禁忌」とされ、ようやく真相究明が始まったのは1990年代後半。それでも、在日被害者はその範囲外だった。
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「けどな、無理って言われて諦めとったら、ウリたち、いつまで経っても消される側やで」
ソヒョンが言った。
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訴状を提出した日、三人は記者会見を開いた。マイクの前で、ソヨンが訴えた。
「私たちは、声をあげます。あの日、済州島で起きたことは、誰かの過去じゃなく、今も私たちの中で生きています。これは、記憶のための闘いです」
反応は賛否両論だった。
「日本に住んでるのに、なぜ韓国政府を訴える?」
「今さら、何の意味がある?」
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そんな声も少なくなかった。しかし、ネットには共感の声も増え始めた。
済州島出身の高齢者が手紙を寄せてきた。「わしの姉もあのとき死んだ。ありがとう、声をあげてくれて」
在日2世の男性が協力を申し出た。「父はあの事件で日本に来た。死ぬ前に真実を記録しておきたい」
三人は、そんな声をノートに書き留めた。まるで証言集のように。生きた記録として、法廷に持ち込むために。
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裁判は簡単には進まなかった。政府側は「在日は管轄外であり、賠償責任は生じない」と主張した。
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けれど、彼女たちは引かなかった。
「管轄外という言葉で、どれだけの人が切り捨てられてきたのか」
ソヒョンは言った。
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1年後、判決はまだ出ていない。
だが彼女たちは、戦いの最中に多くの協力者と繋がった。済州島出身の学者、在日歴史研究者、若い韓国人学生たち。中には、法廷支援を申し出る韓国の弁護士グループも現れた。
「私たちだけやったら、ここまでは来れんかった」
ジウはそう言って笑った。
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今、三人は新しい活動を始めている。
「済州島4・3事件 在日証言プロジェクト」
記憶を掘り起こし、次の世代に手渡すためのアーカイブ化だ。日本各地を回り、かつて密航で渡ってきた老人たちの証言を集めている。
「裁判も大事。でも記録も同じくらい大事やから」
ソヨンの言葉に、ジウとソヒョンがうなずく。
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彼女たちはもう、ただの「孫」じゃない。
祖母たちの声を受け継ぎ、春を告げる声になった。