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短編小説『春を告げる声 済州島にて』 - 済州島4・3事件

2025/05/03 (Sat) 19:15:09

## 短編小説『春を告げる声 済州島にて』



エメラルドグリーンの海と、どこまでも広がる柑橘畑の香りが、ソヨン、ジウ、ソヒョンの頬を優しく撫でた。

祖父母の故郷、済州島。

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温暖で風光明媚なこの地で、三人は言葉少なに風景を眺めていた。

77年前、この穏やかな島で、想像を絶するような惨劇が繰り広げられ、自分たちの祖父母が命からがら海を渡り、異国で生き延びたという事実が、まるで遠い日の悪夢のように、彼女たちの胸に重くのしかかっていた。

宿に戻り、何気なくスマホを開いたソヨンは、眉をひそめた。

K-POPガールズグループの日本人メンバーが、「韓国は三・一節が祝日で羨ましい」と発言したことが、韓国中で大きなバッシングを呼んでいた。

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1910年から日本の植民地となった朝鮮半島。

1919年に勃発した三・一運動は、第一次世界大戦後のパリ講和会議でアメリカのウィルソン大統領が提唱した民族自決主義に触発され、朝鮮半島全域で燃え上がった最初の大規模な独立運動だった。

「『独立』か…」ジウが呟いた。

その言葉は、三人の間に複雑な感情を呼び起こした。

日本統治時代の済州島で、彼女たちの祖父母たちは、確かに贅沢とは無縁だったかもしれないが、少なくとも平和で穏やかな日々を送っていたという。

学校に通い、畑を耕し、隣人たちと助け合いながら、ささやかな幸せを育んでいた。

短編小説『春を告げる声 済州島にて』 - 済州島4・3事件

2025/05/03 (Sat) 19:22:52

しかし、日本人が引き揚げ、上海で大韓民国臨時政府を樹立していた李承晩がソウルに乗り込んできた時から、島の空気は一変した。

1948年8月の大韓民国樹立宣言を前に、李承晩は、社会主義者の朴憲永が率いる南労党の粛清を強行した。

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李承晩の一派は、南労党の残党を追い、済州島にまで押し寄せてきた。

そこで、南労党に協力したと疑われた島民たちは、有無を言わさず家を焼かれ、若い女性たちは兵士たちに凌辱され、家族の目の前で殺害された。

李承晩の一派は、「疑わしきは厳罰に処す」という名の元に、無辜の島民を次々と血祭りに上げていったのだ。

ソヨン、ジウ、ソヒョンの祖父母たちは、まさに地獄絵図のような光景を目の当たりにし、一刻も早くこの島から逃れなければ、自分たちの命も危ないと感じた。

日本に密航した時点で、彼らが南労党の協力者でなかったことは明白だった。ただ、故郷を追われた人々だった。

大阪の鶴橋に小さな部屋を借り、密航者であることが露見せぬよう、息を殺すようにひっそりと暮らした。

文化も違う異国で、いつ見つかるか分からない不安に怯えながら、それでも生き延びるしかなかった。

それから間もなく、1948年8月、ソウルでは盛大な大韓民国樹立式典が催され、李承晩が初代大統領に就任した。三人の祖父母にとって、これが「民族独立」の全てだった。

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自分たちを故郷から追いやり、多くの人々を虐殺した人物が、新しい国の指導者として祭り上げられる。

その現実は、彼女たちにとって到底受け入れられるものではなかった。

「民族自決」。「植民地独立」。聞こえは美しいが、済州島民にとってのそれは、国粋主義、ファシズム、ナチズム、排外主義、そして軍事独裁主義と表裏一体の、まさに邪悪なイデオロギーだった。

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日本の植民地だった頃の、あの穏やかで平和な暮らしを取り戻したい。その一念で、彼女たちの祖父母たちは命懸けで日本に密航したのだ。

短編小説『春を告げる声 済州島にて』 - 済州島4・3事件

2025/05/03 (Sat) 19:39:51

一部の国粋主義者、排外主義者は創氏改名を強制され、日本語教育を押し付けられたことが我慢できなかった。

しかし済州島四・三事件当時、そして、韓国独立から77年の間、三・一運動の愛国者たちは、祖国に裏切られ、虐げられた自分たちの祖父母たちのために、一体何をしてくれたのだろうか?

民族自決や独立運動に人生を賭けるくらいなら、法の支配や自由主義ブルジョア憲法の行き届いた異郷で暮らす方が、遥かに幸せではないか。

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三人は、この島を歩き、虐殺の痕跡が今も残る風景を目の当たりにするほどに、その思いを強くしていた。

「私たちは、ヘリテージ財団で話しました」と、ジウが静かに言った。「日本の植民地支配を、一方的に悪だと決めつけるのは違うと。当時の国際情勢や、朝鮮半島内部の状況も踏まえて考える必要があると。」

ソヨンが頷いた。「多くの聴衆が、私たちの言葉に耳を傾けてくれた。でも、韓国の国粋主義者や、排外主義者からの猛反発は避けられないでしょうね。」

チェ・ソヒョンは、遠い目をしながら海を見つめた。「それでも、祖父母たちが味わった塗炭の苦しみを思えば、私たちは黙っているわけにはいかない。あの虐殺は、単なる過去の出来事ではない。私たちの血の中に、深く刻まれた傷跡なんだから。」

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三人は、夕暮れの海岸線を歩いた。波の音が、彼女たちの心のざわめきを鎮めるように響いていた。明日、彼女たちはソウルに戻り、済州島四・三事件の補償を求める裁判を続ける。その道のりは決して平坦ではないだろう。韓国社会には、根強い民族主義の感情が存在し、彼女たちの主張は、多くの人々の反感を招く可能性もある。

しかし、彼女たちの胸には、ヘリテージ財団での講演で感じた、かすかな希望の光が灯っていた。

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自分たちの声に耳を傾け、共感してくれる人々が、確かに存在することを知ったからだ。

そして、何よりも、祖父母たちの無念を晴らし、真実を未来に伝えたいという強い思いが、彼女たちの背中を押していた。

宿に戻った三人は、改めて言葉を交わした。

「私たちは、『在日』として生きてきた。常に、二つの祖国の間で揺れ動きながら」と、ソヨンが言った。

「でも、済州島に来て、祖父母の生きた土地に触れて、改めて思った。私たちにとっての『民族』とは何なのだろうか。『民族自決』とは、一体誰のためのものなのだろうか。」

ジウが答えた。「李承晩のような独裁者のための『民族自決』ならば、そんなものは必要ない。大切なのは、個人の尊厳が守られ、自由と平和が保障される社会。それが、私たちの祖父母が求めていたものだったはずだ。」

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ソヒョンは、静かに頷いた。「私たちは、韓国の国粋主義者たちに、敢えて問いかけたい。あなたたちの言う『愛国』とは、一体何なのかと。自国民を虐殺し、異質なものを排除しようとする排外主義と、どこが違うのかと。」

三人は、夜遅くまで語り合った。彼女たちの言葉は、77年前の済州島の悲劇を、単なる過去の出来事としてではなく、現代を生きる自分たちの問題として捉えようとする、真摯な問いかけだった。

翌朝、三人は、朝日が照らす済州島の海を眺めていた。穏やかな波の音は、まるで島に眠る犠牲者たちの鎮魂歌のようだった。

彼女たちの心には、ワシントンで感じた希望と、この島で改めて抱いた決意が、静かに共存していた。

彼女たちの声は、小さな波かもしれない。しかし、その波紋は、やがて大きなうねりとなり、韓国社会の根深い民族主義の壁を揺るがすかもしれない。

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彼女たちの勇気ある行動は、虐げられた人々の魂に、遅すぎた春を告げる声となるだろう。

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